寺と法とお金についてのコラムをどんどん書くよ

裏返してみる練習

ゆるせないこと。腹のたつこと。なにが善でなにが悪なのか? そんなことを半世紀かんがえていたら、裏と表がひっくり返っちゃいました。

功利主義がゆるむ潮目

自粛期間に入って、「無常」という言葉を「明けない夜はない」、「やまない雨はない」と同義でつかう僧侶をSNS上でしばしばおみかけします。
それはそれで間違っているわけではありませんが、宗教者がいまおっしゃるべきことは、それなのか? という違和感が残ります。

「無常」とは、悪いことがいつか去る、だから待て、という意味ではない

一般の人がそれを言うのは構いませんが、宗教者は「無常」をもう一歩違う角度からとらえてこそ、存在価値が認められると思うのです。

「無常」はほんらい、なにごとも形をかえずに永続することはない、滅びぬものはない、そういう事実をみつめることをいうはずです。
つまり、「いまは非常事態(=悪)」で、そのうちまたいつもの「変わらぬ日常」が戻ってくる(=善)という見かたは、無常という考えかたから少しはずれています。

宗教者のかたがたにはむしろ、「新型コロナの影響ですべての人が罹患の恐怖にさらされることで、何が変わるのか」に目を向けていただきたいのです。

たとえば人々が、「目の前の利益に目がくらんで、介護が必要な親や病気の家族をなかば迷惑がってきた過去を恥じるようになるだろう」といったことに、逆に価値を見出すような話、苦境だからこそ希望が見えてくるような話が、こと宗教者からは出なければいけないのではないかと思います。
「明けない夜はない」などと「いつかを待つ」話なら、宗教者でなくても、誰にでもできるからです。

死を意識しなくてもよかった2020年初頭までの日常が「善」であり、その状態へ「戻る」ことを期待するようでは、「無常」を正しく伝えているとは思えないのです。なにが善で、なにが悪であるというふうに決めつけたりしないのが、仏教思想ではないでしょうか。

希望のみえる前兆に、導けるのか否か

ノーマライゼーションと言いながら、「ふつう」に満員電車に乗れない人、さまざまな事情で「ふつう」に会社へ来られなくなっている人たちに対し、心の奥底で〝悪〟と決めつけてきた。
そういう〝功利主義的な日常〟が崩れる方向へ、いま潮目が変わりつつあります。

そうであるならば、希望のみえる前兆であると思います。
いまをその前兆へと、導いてゆけるのかどうか。

それこそが、宗教者のかたがたの日々のご発言にかかっていると思います。

新型コロナのある生活

これは非常時なのか、日常なのか

COVID-19による海外主要都市のロックダウンが2週間以上つづき、首都圏ほかも「自粛要請」から1週間以上が経過した。

ワクチンの開発をはじめとする対応策は急ピッチで進められているものの、SARSやMARSのことも考えれば、今後もこうしたある程度の致死率のウイルスの流行はしばしばあるのだろう。

異常気象はすでに常態となっており、天変地異も日常茶飯事。
先進格国のおおかたは、第二次大戦後70年余の平穏を経験し「平和があたりまえ」、病気や死は「ふだんあまり口にすべきでないこと」のようになってきたが、COVID-19による都市封鎖が多くの地域で現実のものとなり、ここへきて急速に、なにが「異常」でなにが「日常」であるのかが、交錯しはじめている。

「一定幅の所得減があった世帯へ30万円支給」、快挙の策となるのか

安倍首相は一昨日、「一定幅以上の所得減があった世帯へ30万円を支給する」と発表した。

それまで、「韓国は10万支給したのに、日本はまだ?」「さっさと10万配れ」とSNSで騒がれていたが、3倍に増額して世間を黙らせる手法にでた。

予算大丈夫なの? と心配する人もいるが、支給されたものは預貯金へまわる余裕もなく生活のために使われるので、自粛が緩和された後の経済効果につながる。経済回復が少しでも早くなれば税収の回復にもつながる。
いわば「いってこい」の支給。
「一定幅からギリギリ漏れた人がかわいそう」、「風俗などの職業で支給されないというのは差別ではないか」などの批判はあるものの、一定の効果は期待できる前向きな施策ではある。

そもそもこの非常事態に、「給料下がったから補填しろ」「仕事ないからカネをくれ」と叫ぶだけでは、国家は破綻してしまう。だって経済的価値を生んでいないのにご飯だけ毎日食べているんだもの。
だからみんな、体力消耗が少ないぶん納豆ご飯とかふりかけご飯でガマンする日を増やしてなんとかしのぎながら、「とうぶん皆が家から出ないときに、何が必要になるのか?」を考えて行動したらいいのである。それが、収入に直結しようとしまいと、「誰かに必要とされること」に着手したらいい。

これも日常、と転換しよう

周囲のお坊さまのなかに、ふだんお寺に人を集めて定例で行ってきた催しを、人を呼ばずに動画配信したり、zoomで坐禅会をしたりする動きが出てきた。

ネット配信の催しや坐禅会では、参加費やお布施はとれないし賽銭箱にも一円も入らない。だからわざわざ慣れないツールを利用してまでそんなことはしたくない、というのがおおかたの発想かもしれない。

でも、やれてしまったお坊さまがたは、自粛で自宅で長くすごす人々のストレス、懸念、精神不安を察知して、〝矢も楯もたまらずに〟気がついたら動画配信をしていたのだ。

それがお金になろうとなるまいと、〝矢も楯もたまらず〟手をさしのべてしまう――それが、市民の納得する宗教者の姿だと思う。

そしてお金にならないことを気にせず新たな取り組みをはじめた僧侶がたは教えてくださった。

「日常」と「非日常」の境目をさっさととっぱらい、マーブル状にかきまぜちゃったほうが、健全にすごせるよ、ということを。

ペットは生きててこそ安心するのに、食べる相手は生きてると困惑する

ふるさと納税で、活貝が届きました。

魚焼きグリルに入らないくらいの、けっこうな大きさのサザエたち。

発泡スチロールの箱に入ってクールで届きましたが、蓋の部分を上下させて、元気に動いています。

神棚に向かい祝詞をあげてから、いただきました。

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自由主義か、保守主義か。二者択一じゃあ能がない!

従兄の義兄がE・トッドの翻訳者だから言うわけじゃないけれど。
論点がいつも、「TPPは是か非か」、「自由か、保守か」になってしまうところに多大なギモンを感じる。
消費経済(日用品、家電など)と、精神文化(年に一度の温泉旅行、1点ものの調度品や器などこころを満足させる品)とで物事を分けて考える必要が Continue reading