寺と法とお金

新型コロナのある生活

これは非常時なのか、日常なのか

COVID-19による海外主要都市のロックダウンが2週間以上つづき、首都圏ほかも「自粛要請」から1週間以上が経過した。

ワクチンの開発をはじめとする対応策は急ピッチで進められているものの、SARSやMARSのことも考えれば、今後もこうしたある程度の致死率のウイルスの流行はしばしばあるのだろう。

異常気象はすでに常態となっており、天変地異も日常茶飯事。
先進格国のおおかたは、第二次大戦後70年余の平穏を経験し「平和があたりまえ」、病気や死は「ふだんあまり口にすべきでないこと」のようになってきたが、COVID-19による都市封鎖が多くの地域で現実のものとなり、ここへきて急速に、なにが「異常」でなにが「日常」であるのかが、交錯しはじめている。

「一定幅の所得減があった世帯へ30万円支給」、快挙の策となるのか

安倍首相は一昨日、「一定幅以上の所得減があった世帯へ30万円を支給する」と発表した。

それまで、「韓国は10万支給したのに、日本はまだ?」「さっさと10万配れ」とSNSで騒がれていたが、3倍に増額して世間を黙らせる手法にでた。

予算大丈夫なの? と心配する人もいるが、支給されたものは預貯金へまわる余裕もなく生活のために使われるので、自粛が緩和された後の経済効果につながる。経済回復が少しでも早くなれば税収の回復にもつながる。
いわば「いってこい」の支給。
「一定幅からギリギリ漏れた人がかわいそう」、「風俗などの職業で支給されないというのは差別ではないか」などの批判はあるものの、一定の効果は期待できる前向きな施策ではある。

そもそもこの非常事態に、「給料下がったから補填しろ」「仕事ないからカネをくれ」と叫ぶだけでは、国家は破綻してしまう。だって経済的価値を生んでいないのにご飯だけ毎日食べているんだもの。
だからみんな、体力消耗が少ないぶん納豆ご飯とかふりかけご飯でガマンする日を増やしてなんとかしのぎながら、「とうぶん皆が家から出ないときに、何が必要になるのか?」を考えて行動したらいいのである。それが、収入に直結しようとしまいと、「誰かに必要とされること」に着手したらいい。

これも日常、と転換しよう

周囲のお坊さまのなかに、ふだんお寺に人を集めて定例で行ってきた催しを、人を呼ばずに動画配信したり、zoomで坐禅会をしたりする動きが出てきた。

ネット配信の催しや坐禅会では、参加費やお布施はとれないし賽銭箱にも一円も入らない。だからわざわざ慣れないツールを利用してまでそんなことはしたくない、というのがおおかたの発想かもしれない。

でも、やれてしまったお坊さまがたは、自粛で自宅で長くすごす人々のストレス、懸念、精神不安を察知して、〝矢も楯もたまらずに〟気がついたら動画配信をしていたのだ。

それがお金になろうとなるまいと、〝矢も楯もたまらず〟手をさしのべてしまう――それが、市民の納得する宗教者の姿だと思う。

そしてお金にならないことを気にせず新たな取り組みをはじめた僧侶がたは教えてくださった。

「日常」と「非日常」の境目をさっさととっぱらい、マーブル状にかきまぜちゃったほうが、健全にすごせるよ、ということを。