寺と法とお金

イイお坊さんかヒドイお坊さんか、という悩み

私が仏教思想史専攻の学生だったころは、バブル景気まっただ中。見渡せば、高級車で棚経にまわられるお坊さんばかり。
「お釈迦さまの思想がすばらしいのはわかったけれど、この国で、私にできることは何もない」
と直観し、専攻とはまるで関係のない仕事に就きました。
紆余曲折をへて、知人の半数近くが宗教者という、いまの環境にたどり着くのに20年かかりました。

もちろん中道という言葉は理解しているつもりでしたが、善だとか悪だとかと決めつけることに意味はない、ということが心底わかるようになってきたのは、『いいお坊さん ひどいお坊さん』を書いたあとからです。

『いいお坊さん ひどいお坊さん』を読んだあと、「私はいいお坊さんなのかひどいお坊さんなのか、悩んでしまいました」と語るかたが決まって、世間の人が思い描くであろう、“いいお坊さん”だったからです。

つまり、「自分がひどいお坊さんなはずはない」、と内心で納得して悩まないお坊さんより、「いいお坊さんなのか、ひどいお坊さんなのか、悩んでしまいました」というお坊さんのほうが、相対的にみていいお坊さんである場合が多いんです。

中道というのは悩み続けることなんだなぁ、と、思う次第です。