「医療保険に入るべきかどうか」という相談を、しばしば受けます。
年収や資産総額によってある程度の助言はできるのですが、いつもスッキリしないのは、医療保険加入の是非は、「数字でわかる情報だけでは決められない」、つまり、「死生観とか生きざまによるのになぁ…」ということです。
ひと昔前に亡くなった私の伯父(母の3番目の兄)は、日活時代の小林旭によく似た人でした。
若い頃に夢破れて以来、定職に就かず。それでも港町では、人望と口利きだけで、なんとか生きることができたようです。酒場へ行くと、お代を払ったことがないのに「Mさんには世話になってるから!」と付け届けのボトルが並んだと聞きます。
その伯父の生前の口癖は、
太く短く生きるんじゃ
でした。
希望通り平均寿命には大分残して咽頭がんで亡くなりましたが、最期まで、「我こそはMさんの子分じゃ!」という人が入れ替わり立ち替わり見舞いに来て、賑やかな晩年でした。
インド独立の父、M.K.ガンディーも、生命保険含めいっさいの保険を、不服従無抵抗運動を開始した頃に解約しました。
心配性で、石橋を叩いて0.1%でも危険が見えたら渡らないタイプの人。
こういう人は、保険に入ることを好みますが、じつは不要な人。蓄財という観点であまり妙味のない医療保険に関しては、ことに不要です。
なぜなら、このタイプの人は用意周到すぎるほど蓄えてあり、入院費用日額程度はまかなえるはずだから。
そのうえ、保険に入らないほうがいい積極的な理由もあります。
数ある顧客の事例を思い浮かべてみてもハッキリ言えるのですが、心配性の人が医療保険に入ると、なぜか病気になりやすいのです。
加入しててよかったと思いたい! という潜在的な願望が、自然治癒力を停滞させてしまうのでしょうか。
逆に、「保険に入らなきゃと思って比較検討するうちに、忙しくなって入れない!」というときは、意外と検討しているだけで予防効果が出ていることがあります。
「せっかく保険加入を検討までしたのに、いま病気にかかったら、悔やんでも悔やみきれない!」という気持ちが作用するのか、検査で少しでもよくない兆候が出ると食事療法だの民間療法だの知識を入れるだけ入れて努力するので、進行を遅らせることに成功したりします。
そして、脳科学者の中野信子さんの著書『努力不要論』(フォレスト出版※)によれば、日本人の7割はこの心配性タイプ(セロトニン・トランスポーターが少ない遺伝子をもった人)なんです。
※この本は、最後まで読むと中野信子さんの特別告白PDFをオマケでもらえるので、オススメです。とくに、「私って、いままで普通と思ってきたけど、発達障がい?」と心配になっている人には、大きな救いとなります。
だけど冒頭の叔父のたとえからいけば(この伯父は、セロトニン・トランスポーターが少なくない3割だったように思えます)、残りの3割は、そもそも保険加入にあまり興味がない。
じゃあ、医療保険は誰の役に立つの? といえば…
おそらく、加入者の家族でしょうか。
家族は、働き手が医療保険に加入してくれたことで安心できるので、かえってストレス性などの病気の恐れが減ります。家族がホッとしてくれれば、本人の自然治癒力を下げてしまうという悪影響も、おそらく減るでしょう。
その投資で、元が取れるかどうか? ではなく、どのような安心が買えるのか、ということを考えると、投じたものの価値は増えます。
医療保険は、主に手術代(それぞれの保険の約款で指定された種類のもの)の補助と、入院した際の差額ベッド代を補うために加入すると思います。
そこでよく問題となるのは、差額ベッドを希望しなくても、差額ベッド代を払うことになるのか? ということです。
「私は、入院したとしても、大部屋で構わないから大丈夫」
と思っていても、私立の病院は、病床数の半数までしか大部屋を備えなくてもよいので、「長期入院の人で大部屋が埋まっている」という話はよく聞きます。
差額ベッド代が発生する部屋(4人以上で一定の広さなどの条件を満たす部屋)を希望しないのであれば、「承諾書」にサインをしなければ差額ベッド代を払う必要はありません。
しかし、「承諾なしでは入院できませんので、他の病院へ行ってください」と言われてしまうと、付き添いの家族としては承諾せざるをえないのが普通です。
本人の症状にもよるでしょうが、多くの場合、苦しんだり痛がったりしているのに何時間も待たされ、ようやく検査を終え、入院が必要な症状だった、ということが判明したのに、また別の病院へ搬送されて順番を待たされた挙句、一から検査を受けるなど、考えたくないでしょうから。
また、死期が迫る病状の場合も、本人が希望しなくても、だんだんと病床数の少ない部屋に移されてゆくことがあります。親族はサインを迫られ、折れるしかない場合が多いです。
医療保険はまさに、そのための備えともいえるのですが、医療の進歩とともに、入院日数は少なくなる傾向があり、昨今はがんの治療でも、部位によっては日帰りで済むこともあるくらいです。
医療保険への加入を考えるのは、持病が気になりだす中高齢から、子育てにかかる費用がなくなった頃からが多いと思います。
差額ベッド代は5000円~10000円の帯域が一番多く、医療保険には日額5000円~10000円程度の保障をつけておくのが妥当。
最大何日まで、というところについては、以前は「病院は90日で追い出されるから90日でいい」と言われていましたが、寿命が延びて長期療養型の医療施設も増えていることから、最低でも120日くらいつけておくのがよいと言われます。
とはいえ、最大日数が増えるほど、保険料はダイレクトに大きくなります。
平均余命まで生きた場合の、「入院日数最大でもらえる保険料」を「総払込保険料」で割って、払い込んだ保険料に対し最大でどのくらいの保険料が取り戻せるかを計算して保険の比較をおこなうFPもいます。
しかしじっさい、平均余命より長く生きるか、手前で終わるのかは誰にもわかりませんし、長期入院を要するか、10日ほどの入院でコロリと逝けるかも、誰にも予測できません。
医療保険を検討するのは中高齢になってからが多いので、保険料もけっこうな額になります。
差額ベッド代を1日1万円としても、いつでも捻出できる預金が200万ほどあるなら、120日分の差額ベッド代+治療費がほぼまかなえるので、医療保険に入らないという選択もあると思います。
あなたがもし、世紀の大発見となる研究論文を書いている最中であったりして、厚労省が保険適用にしていない先進技術を使うような大手術をしてでも生き延びることを希望するなら、「高度先進医療特約」目当てで医療保険に加入しておくべきでしょう。
「いま、どのくらい生き長らえたい気持ちがあるか」ということと向き合ってみないと、医療保険加入の是非は決まらない、というのが私の持論です。