古溪僧侶と、常識を覆して生き生きしよう!

○○になり続けることからの解放

知人のCさんは、資格試験を受け続けています。

行政書士をとったけれど、司法書士からは下に見られる。

司法書士をとってみたけれど、弁護士からは下に見られる。

司法試験は年数がかかりそうだから、幅をひろげようと社会福祉士をとってみた。

社会福祉士をとってもこころを病んだ人のことがわからないと役に立てそうにないから、公認心理師に挑戦するため大学の通信課程で心理学を学びはじめた……

有能な人材が活用されない社会

読めば伝わるとおり、Cさんはとても勉強熱心です。

試験を受けたら1~2年で結果を出すことのできる、優秀な人です。

社会貢献したいという気持ちも、たくさんお持ちです。

こんな優秀なCさんがなぜ、何年間も勉強ばかりをつづけ、なかなか実際の社会の役に立つことができずにいるのでしょう?

いまの日本社会が閉塞感に充ち、経済的にも横ばいなのは、こうした有能でまじめな人たちの能力を活用できていないことが原因だと感じます。

Cさんに足りないもの

Cさんが、なかなか実社会でその実力を活用できないのはなぜでしょう?

それはおそらく、

足りない自分のままでは、
人の役に立つことができない

という思い込みです。

将来なにかになるための準備に時間と労力を費やし、そのための準備としてよい学校をめざし、その下準備としてよい幼稚園をお受験し……

そうなんです。

私たちは「育てられた過程で」、なにかになり続けるために生きるという枠組みに、どっぷりと浸されているのです。

Cさんのように優秀であればあるほど、この枠組みにはめられてきた度合いは、強いといえます。

ライフステージのどこにいるのか?

人生は有限で、大地震や交通事故で、明日とつぜんに終わってしまうかもしれないもの。

インドでは人生のステージを4つに分けて考えます。※これは仏教の考えではなく、仏教以前のヴェーダの考えですが、釈尊はご存じだった話であると推察されます。

  1. 学生期(おおむね25歳くらいまで):生活するための術を学んですごす時期
  2. 家住期(おおむね50歳くらいまで):結婚して子育てをしたり、現役社会人として働く時期
  3. 林住期(おおむね75歳くらいまで):家族を養う役目を終え、森へ行って瞑想し、内面と向き合って人生とは何か、その真の意味を見いだしてゆく時期
  4. 遊行期(おおむね75歳以降):森の居場所さえ捨てて人生の終焉に向かい、あちこち遊行して托鉢で暮らす時期

Cさんの場合、いつまでも「1」の段階(=○○になりたいから学ぶ)にとどまり、なかなか「2」の段階(=○○として生きる!)へ進むことができずにいます。

稼いだお金を勉強に費やしてしまうので、結婚や子育ても視野に入りません。

せっかく人間に生まれてきたからには、ある程度能力が備わったら「2」の段階へ移行し、じゅうぶんに税金も払って「1」の期間に享受してきたものを社会へお返しし、「4」まではいかないまでもせめて「3」の段階に到達して人生を終えたくはないですか?

人生は、ある日突然終わるもの

どんなに健康に配慮していても、あなたの人生は大地震で明日終わるかもしれません。交通事故に遭ってしまうかもしれません。

勉強しつづけることも大事ですが、それは「2」の段階へ行ってからも可能です。

実践のなかで、事例から学び、新たな気づきを得て先へ進む。

私も、いまだ多くの宗教者のかたとの対話から学ぶことが続いています。

でも、「○○になりたい」と思い続けることからは、脱却しています。

女性の場合、結婚と出産でキャリアが分断されてしまうので、積み上げてもしょうがない、ということに気づいたからかもしれません。

30代での結婚だったので、まだ「2」の段階は終わっていませんが、この春、末の息子も高校を卒業し、大学卒業までの学費はなんとか貯められているので(それを使い切ると私の老後資金はゼロになるので、仕事をしないわけにはいきませんが!)、そろそろ気分的には「3」でもよいかなと考え、この講座を始めました。

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