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ひとつの善が、「そうでなかった場合」を否定してしまう

看取りを描いたドキュメンタリー映画「いきたひ」を観ました。
「生」という字の最後の1画が、「死」という字の始めの1画に重ねられ、「生」と「タヒ」がつながった造字を「いきたひ」と読み、「生きたい」「逝きたい」「(あの世へ、また至福へ)行きたい」など、観る人それぞれに想像できるタイトルはすばらしいと思いました。
競争のマイナス要素となる「老病死」を「悪」と捉える功利主義の固定概念を壊す試みが、映画からは感じられました。

直葬、便乗散骨(クルーザーに乗船せず粉骨を預けて撒いてきてもらうサービス)、送骨納骨etc. さまざまなサービスの普及にともなって、死別の瞬間は「儀礼」から「処理」へと傾きつつあります。
葬祭の場から「儀礼」の要素が激減するともに浮上してきたのが、グリーフケア、ピアサポート、カウンセリングなど、肉体的死別の際に処理しきれなかった心理面の処理を、長期にわたりケアする数々の手法です。
本来の葬儀 ~近親者が集まってひと晩語り明かし、2~3日かけて葬送を終え、7日ごとの供養を7回繰り返して七七日忌(しじゅうくにち)を迎える~ であれば、納骨までさまざまな“ご縁”に支えられることで喪の悲嘆は癒えてゆき、社会復帰も早かったといわれます。
目先の簡便さを追求したために失ったものを、長い時間とお金をかけて取り戻すという、なんともちぐはぐな顛末になっているのです。

死別の瞬間、体温を感じとり、抱きながら看取ろう。そうすれば、臨終の際に放出される幾多のエネルギーをうけとることができる。 この映画の主張するところは、現代の “ちぐはぐな葬送” に鋭く斬り込んでいます。
死別の悲嘆について、これまで考える機会の少なかったかたには、ぜひお奨めしたい映画です。

しかし、体温を感じ、抱きながら別れることの “善さ” を推奨することは、抱きかかえながら別れることのできなかった多くの人への予期せぬ過剰な攻撃のおそれも含んでいます。
なぜなら、いまは、向こう三軒両隣が同じ送りかたをし、日本人の多くが同じ死生の物語(三途の川を渡ると~etc.)を共有していた頃とは違い、ひとりひとりが “自力で葬送の方法を選んでいく” 時代だからです。
よるべとなるストーリーがない中で、誰しも「あの送りかたでよかったんだろうか」と苦悩し、「あんなふうにしか、してあげられなかった」と何年先まで苦しみ、十年以上もかけて死別と折り合いをつけながら、「あれでよかった」と思える日まで、揺らぎ続けるのです。その中で、“究極のベスト” を突きつけられることは、そうできなかった場合の傷口に塩を塗り込んでしまう場合もあるからです。

病院の意向に押し切られ、自宅で死にたいと何度も言った家族を連れ戻すことができなかった人へも、同じ救いがあってよいはず。
事故や急死、災害死等、死に目に遭遇することさえできなかった場合にも、想像力ひとつで、肉体を離れた御霊のエネルギーをうけとることはできるはず。

そのことを同時に描いてくれていたなら、多くの人に推奨できる映画であったと感じました。

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